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静寂の音、沈黙の声

time 2025/08/28

静寂の音、沈黙の声

リハライフ高須の西川です。

ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス

著者 栗田 シメイ

【Amazon 概要】

新宿駅からわずか2駅、最寄り駅から徒歩4分。都心の人気のヴィンテージマンションシリーズにもかかわらず、相場に比べて格段に安価なマンションがあった。

その理由は、30年近くにわたる一部の理事たちによる“独裁”管理とそこで強制される大量の謎ルールにあった。

身内や知人を宿泊させると「転入出金」として1万円の支払い、平日17時以降、土日は介護事業者やベビーシッターが出入りできない、ウーバーイーツ禁止、購入の際の管理組合との面接……など。

過去、反対運動が潰された経緯もあり住民たちの間に諦めムードが漂うなか、新たに立ち上がった人たちがいた!! 唯一の闘いのカギは「過半数の委任状集めること」。正攻法で闘うことを決め、少しずつ仲間を増やしていくが、闘いは苦難の連続だった……。

マンションに自治を取り戻すべく立ち上がった住民たちのおよそ4年にわたる闘いをつぶさに描いたルポルタージュ。

本の内容は、上記の概要が全てです。

そんなマンションある? そんなルールひどい! これが実話のもつ破壊力です。

行き過ぎた管理と、自由を求める戦い。

フランス革命も、アメリカ独立戦争も、日本の明治維新も、行き過ぎた管理と、自由を求める戦いと言えます。

そんな大きな話じゃなくても、子どもが親の手を離れて自立していくことも、行き過ぎた管理と、自由を求める戦いと言えます。

映画で言えば「アラビアのロレンス」「卒業」「椿三十郎」「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」などなど。

管理か自由か。

管理されることで、安全・安心に暮らすことが出来ます。

しかし、たとえ危険を伴ったとしても、自由が欲しいのも人の性です。

実際に存在するマンション独立革命の物語と、介護の現場。

全然関係ないようで、少し似ています。

介護の現場も、管理か自由か、このせめぎ合いがあります。

上記の本は、自由を求める側の立場ですから、自由=正義、管理=悪という様に見えてしまいますが、管理はそれだけで悪ではありません。

管理って、とても大切なことです。

まだ年端もいかない子どもを、自由の名の下に野に放つ。こんなのダメに決まっています。

管理、必要です。

自由の為に、法律という管理、警察という管理を放棄すれば、それは犯罪の横行する無法地帯です。

管理、大事です。

でも、やっぱり自由も欲しいです。

介護の話です。

例えば、介護の現場で、利用者様の歩行をどうしよう、という話によくなります。その利用者様は、歩行が不安定で、転倒歴があります。

自由=歩行自立

管理=歩行介助

行き過ぎた管理もダメですが、自由ばかりに目を取られると、たちまち転倒です。

介護の現場では、転倒は最悪の結果です。何度、転倒しても怪我しない人もいますが、一度の転倒で骨折や脳出血に至ることがあるからです。

介護の現場での「転倒」の取り扱いはシビアです。

管理か、自由か。

歩行だけでは、もちろんありません。

糖尿病と食事制限。

利用者様同士の物の貸し借り。

テレビのチャンネル権

など。。

些細なことから、管理と自由のせめぎ合いが行われています。どこまで管理しようか。どこまで自由にするべきか。

介護の現場のリアルです。

もう一つ。

管理か、自由か。の問題設定をしたいと思います。

『ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス』の概要のところに、「平日17時以降、土日は介護事業者やベビーシッターが出入りできない」と書いています。

行き過ぎた管理の具体例です。

17時以降や土日に、介護が必要な人も存在するのに、この管理は過剰というものです。

ここで問題にしたいのは、管理が行き過ぎた結果、弱者(介護が必要な人)が切り捨てられていることです。

事態が進行すると、はじめに犠牲になるのは弱者です。

第二次世界大戦におけるドイツの管理体制は、目を塞ぎたくなることばかりです。強制収容にあったのはユダヤ人だけではなく、障害者もです。

対して、管理が過剰にならない様に、自由が行き過ぎれば、どうなるか。法律や警察が無ければ、もちろん、はじめに苦しめられるのは弱者目です。

そうです。

管理にせよ、自由にせよ、行き過ぎた時に犠牲になるのは弱者です。

デイサービスでも、同じなのかもしれません。

忙しくて、どうしようもない時(管理したくてたまらない時)、冷たい態度をとってしまう相手は、助けを必要としている利用者さんです。

1人の利用者さんに、好きなだけ好きなマシンを使わせてあげると(自由にさせ過ぎると)、困るのは、自分も使いたいと言えない利用者さんです。

管理か、自由か。

どちらに傾いてもいけません。

利用者さんの為を思うならば。

裏を返せば、利用者さんの為に働けるデイサービスは、管理と自由のバランスが取れているデイサービスということです。

もちろん、人によって、理想のバランスが違うのは当然です。

ある程度は管理して欲しい人。自由にさせて欲しい人、どちらもいます。

デイサービスは、来歴も職歴も年齢も趣味も違う人たちの集団生活です。

だから、管理と自由のバランスをとることは、とってもとっても難しいことです。

管理と自由。

日々、引き裂かれながら、悩んでいます。

映画「卒業」のラストシーンで、結婚式から駆け落ちした主人公と彼女は、笑顔から一転、不安な表情を浮かべて終幕します。

自由を手に入れても、不安はつきまといます。結末らしきものに辿り着いても、そこで葛藤が終わるわけではありません。

この映画のサウンドトラックであるサイモン&ガーファンクル『サウンド・オブ・サイレンス』。和訳すれば「静寂の音」「沈黙の声」といった所です。

「静寂の音」「沈黙の声」に耳を傾けながら。

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